63/2月×日

本格グルメ小説「ラーメン」


「さて、ラーメンでも喰うか」
やすお(42歳厄年)はつぶやいた。
銀行で遅れた家賃を支払い、ホッとしたせいかおなかがへったようだ。
 中年はラーメンが好きであった。
この郊外のこぢんまりした町は、意外とラーメン激戦区で、
「雷文」「おやじ」といった行列のできる有名店がある。
「雷文」は、昆布を基本にしたあっさり系で、人気にたがわずおいしいのだが、
30分は歩かなければならないへんぴな場所にある。
また有名になってからは並ぶ人数が半端でなく、容易にありつけるものではなくなった。
「おやじ」は北海道ラーメンで、黄色味が強いちぢれ麺に旨味のつまったこってりスープが
相まって、得も言われぬ美味しさだ。
三人の職人肌のおやじ達は、人気で天狗になる事もなく、寡黙にたんたんとラーメンを作っている。
動きに無駄がなく、ねりあわせるような見事なコンビネーションはなかなか壮観だ。
個人的にはこの町で一番美味い店だ。
看板メニューは「おやじ麺」という味噌ラーメンで、6割方の客がこれを注文する。
しかし中年には少々甘みが強すぎ口飽きするので、たいていタンメンを注文する。
野菜たっぷりに迫力のスープ、これ以上に美味いタンメンを中年は知らない。
しかし「おやじ」の前にはすでに予備校生やOL、かなりの人数が並んでいた。
「支那そば亭にしとくか」
そこは中年が一番足繁く通う店だった。
なつかしいあっさり系のスープで飽きがこない。
化学調味料無添加で大量のいりこが使われており、これがけっこうやみつきになる。
店員さんが暇さえあれば店の片隅で、いりこのはらわたを一つ一つとっている。
「よしよしイイ子だ、しっかりムシるがいい、オレのスープのために」心の中でつぶやく。
しかし昼時のせいかここも満席だった…。
「弱ったな、待つか…、いやどうせ暇だし、どっか新しいとこを開拓してみるか。」
少し遠いが、最近開店したラーメン屋が一軒思い浮かんだ。
中年はたばこをくゆらせのんびりと裏道歩いた。
二月に入ったばかりだが日差しが暖かい、民家の庭の梅のつぼみが膨らんでいる、
長い冬でちぢこまった中年の背骨もいくらか緩んだ。 
 ラーメン屋めぐりは中年のちょっとした趣味だった。
十数年住みついたこの町のラーメン屋の暖簾はほとんどくぐっている。
去年の一時期は毎日のように食べていた。
しかしいわゆるラーメンおたくとはちょっと違う。
ラーおたはガイドブック片手に、遠くの名店まで出かけて行くが、
中年はこの町、自分が歩いて行ける範囲内のラーメン屋を、
しらみつぶしにしていくのだった。
なので当然ながらハズレが多い、大半は無駄足と言っても良かろう。
しかしその分気に入った一杯に出会った時は、ちょっとしたほくそ笑みが出るのだった。
 中年はこの町から出ることはほとんどなかった。
一年のうち360日ぐらいはこの町にいた。
そもそもこの町に住もうと思った理由は、郊外で家賃が安いことと、東急ハンズがある事だった。
仕事や生活に必要なものすべて町の中でそろった。
繁華街はけっこう賑やかなのだが、渋谷や新宿のようなハリキッた所がなく、
サンダル履きで西友の袋をぶら下げて歩いていても特に目立つ事はない。
そんなふんどしユルめの空気を中年は気に入っていた。

 ラーメン好きの中年にも苦手なジャンルがあった。
それは近年急速に増えてきた「横浜・家系(いえけい)」と呼ばれるもので、
たいていは豚骨ギトギトスープに極太ストレート麺という組み合わせだ。
この町にも5〜6軒あり、若い人を中心に、けっこう繁盛している。
 中年はそのすべての店に入って食べてみたが、 すべての店がもれなく不味かった。
ひたすら脂っこく、臭く、鈍重で、いやな後味がいつまでも尾を引く。
こんなもののどこが美味しいのか中年にはまるで理解できなかった。
「おやじ」も出汁に豚骨を使っているが、
コクは出しても臭みは巧みにおさえられている。
しかし家系のスープときたら大量の豚骨をむやみやたらにグツグツ煮込んで、
化学調味料をしこたまぶちこんでやりましたから、といった風情。
野蛮で粗雑、デリカシーのかけらも感じられない。
暴走族あがりの金髪バカがチンボ掻き掻き茹でている、
まあ実際掻いてはいないがそんな雰囲気…。
「コーラやスナック菓子やアンパンで、舌や脳がおかしくなった人間の食い物…」
としか思えないのだった。
また単に不味いだけではなく、体の具合も悪くなる。
てきめんに腹を壊すし、胃もたれと、血がよどんだような不快感が翌日まで続く。
髪はペッタリ、
顔はテラテラ脂ぎってきて、体中の毛穴という毛穴から、
竜巻のようなとんこつ+ニンニク臭が吹き出すような気がする。
常連さんらしきデブ男達は全員、胃が荒れて口のはじがただれている。
そんなに嫌いなら喰わなきゃよかろうと思われるだろうが、中年には意固地な性質があり、
嫌なもの、理解しがたいものになぜか執着してしまうのだった。
 道で二人の女性が歩いていて、一人はものすごくカッコいい尻、
もう一人はありえない程不格好な尻をしていたとしよう。
中年は無論カッコいい尻の方が好きだ。
そう信じたいのだが、なぜか不細工な方に捕らわれて、
目が釘付けになってしまう…、そんな因果な性格だった。
「あれだけ不味いものに人が集まるには何か理由があるはずだ、
きっとすごい秘密が隠されているに違いない」
実際27歳の義弟などは家系がけっこう好きで、
横浜の家系元祖・吉村家までわざわざ食べにいったりしており、それなりの蘊蓄を語る。
しかしやすおにはどうもピンとこなかった。
それでよせばいいのに二度三度と確かめに行かずにはおれず、
そのたびに下痢っ腹をかかえ、足早に帰って来るのだった。

そうこうしているうちにやすおは目的のラーメン屋についた。
以前あった喜多方ラーメンが潰れて、新しい店が入っている。
「博多とんこつ系、か…」
 家系ほどではないが、あまり好きなジャンルではない。
やすおの他に一人40代男性の客がいたが店長と何やら話して出ていったところをみると
知り合いだったらしい。
フランチャイズらしく、バイト丸だしの店員がかったるそうにしている、不吉な雰囲気だ。
 麺をゆでる店長の目に、ラーメンに対する情熱、気迫といったものは感じられない。
「リストラされて50件会社回って、なんだかここに行き当たりました。いたくているわけじゃないんですよ、けっして…」といった風情。
  出てきたラーメンもそんな店の雰囲気を反映していた。
そうめんのような細麺に白濁スープ、刻みネギに紅ショウガ。
典型的な博多スタイルではある。
「甘からず…辛からず……美味からず…」
上島竜平の古ーいギャグが、ウツロに脳裏をめぐる。
スープの脂っこさをおさえたのは、女性を意識したためか、
それはまあいいとして、旨みがどこにも見あたらない。
どうしたい、どこへ行きたいという主張が何もないのだ。
どっちつかずの中途半端なぬる〜い味。

「ほめられようなんて思っちゃいないですよ、でもまあ怒らても困るんですけど…。
極端そうなものはとりあえずみんなおさえといてやりましたとも、無難に無難に…」
そういった卑屈な日和見主義が信条なようだ。
ただ一つ突出している事があるとすれば、とんこつの量をおさえているわりには、出汁取りのテクがずばぬけてへたで、いやな臭みだけはしっかりと出ているといったところか…。
 「そんな不平そうな顔で食べられてもねえ…、
ちゃんと本部のマニュアルどおりに作ってるんですから。
ほら、壁にちゃーんと貼ってあんでしょ?私のせいじゃないですよ、多分。
あーそうそう、仮雇用なんですよ私、時給は1200円です、はい。」
そんな店長の真心が伝わってくるような味わいだ。

 寒々しい気持ちで表に出る。
この虚しいカンジはなんであろうか…、単に650円を無駄に支払ったせいばかりではあるまい。
家系を喰ったときの、あのチンピラに腹をぶん殴られたような不快感とはまた違ったものだ。
「優柔不断な身方より、むしろ勇敢な敵が好きだ」
うる覚えだがそんな言葉が浮かんできた。どっかの将軍が言ったのだと思うが。
中年は歩幅をせばめ、それでもなるべく素早く動かしながら、家へと向かった。
                  
                   完