1月×日(今回は純文学です)


 -冬将軍-

 やすおはガタゴトいう音では目覚めた。
上の階の住人が掃除機をかけている。
どたどたと無遠慮に歩き、吸い込み口をガツガツとあちこちにぶつけている。
「チッ、ガサツな女だ・・・。」
苦々しい面もちで舌打ちする。
遮光カーテンのすきまから街灯がうっすらさしこんでいる。
「何時だろう。」
寝返りをうち、枕元の明かりをつける。
目覚まし時計が5時半あたりをさしている。
 「また中途半端な…、朝?、夕方?…」
この疑問をもう何度もったろうか。
 外の音に耳をすます。どこか遠くで千と千尋のテーマ曲をオルゴールで演奏したものがかかっており、それにフシをつけた親父のだみ声が重なっている。
物干し竿屋だ。曲は無許可に違いあるまい。
「夕方か…」
42歳厄年の中年は、そうつぶやいて煙草に火をつけた。
しかしこの季節、布団から出るのはおっくうだ。
寒い、とにかく寒くて身が縮む。
とりあえず手近なへルシア緑茶に手を出す。
これは普通のお茶の倍ぐらい苦くて、二日酔いの寝覚めにはなかなかよいのだ。
「う、苦くない、香ばしい…」
 寝る前に中身を爽健美茶に入れ替えた事を思い出した。
ふとんで飲むには爽健美茶の2リットルパックは重すぎる。
そこで小さなヘルシア緑茶の容器に移しかえたのだった。
 香ばしいのはけっこうだが、予想したのとちがう味だったので、
なんだかだまされたような気分だ。
「『体脂肪にガツン ガツン ガツン』 ってなんだよ…」
ヘルシア緑茶のCMだが、商品表示の法律かなんかで「体脂肪が減ります」とは
言えなくなったのだろう。
「だからといって誠実な表現とも思えないな、しかしなんで花王が作ってんだろう?」
香ばしかったかたきを八つ当たりではらそうというのか、
どうでもいい事をつぶやきながら、ノロノロと起き出す。


  部屋があたたまるまで、暖房にかじりつく。
電気なのでなかなか部屋全体は暖まらない。
「チッ…、お茶を入れ替える知恵が残ってるなら、
ヒーターのタイマーぐらい入れとけってんだ…」
寝る前のやすおはいつも酔っぱらいで、
寝起きの自分のためにそんな気づかいなど少しもしてくれないのだった。
 数件入った留守番電話はすべて催促調のものだった。
同じ人が何度も入れている。
どれも自分の怠惰さによるものだが、
だからといってすぐに電話をかける気力はおきない。
 ヒーターを抱くようにして、歯を磨いていると、吐き気が込み上げてきた。
中年特有のアレだ。
「お、おぇ…ぼええぇぇ…へぼぇ…」
洗面所までどたどた走る。
えづきながら廊下を移動する音が、そのまま二階まで響きわたればいい。
 給湯器のお湯はなかなか出なかった。
洗面所の寒さに耐えかね、何度も手でさわってみるが、
凍てつく水のままだ。
「チッ…」
 やすおは冬が大嫌いだった。
こんな横柄で抑圧的な季節などいらない、無くなってしまえばいいのだと常々苦々しく思っていた。
コーヒーをいれようと思ったが切れている。
そういえば昨日も一昨日も同じ事に気づき、コーヒーのない一日を送ったのだった。
たばこや食べ物ももう底をついているし、家賃も振り込まねばならない。
「コンビニ行くか…、めんどくせえなあ。」

  まだ日が暮れて間もないが、一段と冷え込んでいる。
星が冴え冴えとして息が白い。
「うー…、寒いたって限度ってもんがあんだろーが、少しゃ加減しろやボケ。」
しばらく歩くと道路の様子がいつもとどこか違っていた。
あるべきところに明かりがない。
目当ての7イレブンが潰れており、邪険にシャッターが閉まっている。
「チッ、なんだってんだ… 」
引き返して別のコンビニまで行かなくてはならない。
そこの食い物は「おにぎり維新」だの「お弁当革命」だの、
大仰なコピーをつける割には、どこのコンビニよりまずく、
モサモサとほおばりながら「まずさの革命なんかいっ」
などと突っ込まずにはおられない。

その上ディスペンサーは系列が違っていて、家賃を振り込むこともできないのであった。
「あーあ気がきいてる事…。しかしうー底冷えしやがる」
 呪いともうめきともつかぬ声が中年の口からもれた。

 以前テレビで見た、北極の白イルカの番組が脳裏に浮かんだ。
冬の間海面は氷に閉ざされ、放っておくと息継ぎできなくなる。
そこで白イルカは集まって、海面の一カ所で息をする。
するとその部分は凍らず、直径2m程の穴となる。
 そこへ天敵シロクマがやってくる、白イルカ達がそこで呼吸する以外ないことを知っているのだ。
シロクマに捕まるのは嫌だが呼吸しないわけにもいかない。
そこでなるべく息をがまんし、浮上しながら慌てて息継ぎをする。
 群れの何頭かはシロクマに捕まり、穴から引きずり出されて喰われる。
残った者達も全員鋭い爪で引っかかれて傷だらけ。
日も昇らない冬の三ヶ月、それを繰り返すのだそうだ。
「三ヶ月もかよ…」
思わずテレビにむかってつぶやいた。
想像するだに息苦しい 。
その時は白イルカが気の毒になったが、
今はそういう気分でもない。

「全然頭よくねえよなイルカ。穴何個もあけて、あっちこっちから出てみるとか
ちったあ工夫しろ。バカすぎて思いつかねえんならハワイでもどこでも、行きやがれ」 

「しかしうーサブッ、毎日毎日バカの一つ覚えみたいに冷え込みやがって、
何が冬将軍なんだか、偉っそうに、頭おかし
くねえ?」

つぶやきのボルテージがだんだん上がっていく。
道の脇の民家の植え込みに、思いがけず人がいた。
距離は2〜3m、暗くて気づかなかったがその家の主婦らしい。
いつもゴミ捨て場の掃除をしている、50代のおばさんだ。
慌てて目をそむけたところをみると、つぶやきを聞かれたらしい。
 やすおは困った。
呪いのことばをつぶやいてはいるものの、
周りの通行人に聞こえないようにそれとなく音量を調節していたのだ。
ただ少々ぼやきたかっただけで、
他人を怯えさせようというつもりはない。

 やすおは考えた。
今ピタッとつぶやきをやめれば、主婦は自分に気づいたと思い、ビクッとするだろう。
冬将軍に向かって「頭おかしい」とつぶやいている人間と関わりを持ちたいと思う人はいるまい。
ここは双方「見なかった」「気づかなかった」事にしておくのが穏当だろう。

「しかしロクなもんじゃないなあ、
スキーだスノボーだのってはしゃいでる人達の気が…」

やすおは気づかれないように話のトーンと音量を微妙にフェードアウトしていった。

-完-